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学校事務職員労働組合神奈川(がくろう神奈川) web「連帯」

「学労川崎」809号(2024年3月22日発行)

削減された事務職員加配定数に…教諭の定数を「振替」

文科省の削減を受け22年度から……振替分は相互支援拠点校に配分

教諭を減らしながら「教員が子どもと向き合える時間を作る」矛盾

>>> 職種別定数はどの職種でも守られるべき <<<

 

学校事務職員の配置の仕組み

 小中学校事務職員の配置数の定める「定数」は、義務標準法という法律を根拠としています。小中学校1校あたり基本は1人。これに小27学級・中21学級以上で1人加わる「複数配置」。さらに要保護・準要保護児童生徒の数・割合により1人加わる「加算措置」が定められています。これらを総称して、「基礎定数」もしくは「法定定数」といいます。
 ただ、ならば今年度川崎に5校ある事務職員3人配置校は、複数配置かつ加算措置の結果なのか? そうではありません。これはいずれも「基礎定数」とは別の定数「加配定数」によるもの。「加配定数」とは、学校個々の事情に応じて基礎定数に加えて配置する定数です。その数や自治体ごとの配分は毎年の文科省の予算と政策判断で決まるもので、基礎定数が客観的要件に基づくこととは対照的です。
 学校事務職員の業務量は、基本的には学校規模に比例するもの。加配定数配置校は業務量とは別の判断から、1人多く配置されていることになります。そしてこの加配定数の根拠は、「共同学校事務室」ないしそれに類する条件整備の観点からの「特別の配慮」とされています。
 

加配定数減分を教諭定数から振替

 川崎市は従来、この加配定数を文科省から7人配分され、市教委は各行政区に1人ずつに配置するとともに加配定数配置校を学校業務相互支援事業の拠点校としてきました。しかし文科省は22・23年度と、川崎市への加配定数配分数を6人に削減していたことが、「全学労連」の調べでわかりました。
 ただそうならば、実際に学校に配置される加配定数分の職員も減るはずのところ、実際には減っていません。どういうことか。学労川崎の照会に対し市教委当局は「教諭として学校に配当し得る部分を学校事務職員に振り替えて配当」する形で、引き続き7人の加配を維持した旨を明らかにしました。
 加配定数を活用している相互支援事業は「教員が子どもと向き合える時間を作る」と称しているはずですが、その加配定数のために「子どもと向き合う」当事者の教諭が減らされているという事実。これは本末転倒ではないでしょうか。
 目的がどうであれ、職種ごとの定数は職種ごとに「必要」と判断された数であり、他の職種に振り替えられる「余分」があるはずはありません。職種別定数はどの職種でも遵守されるべきであり、教諭としての定数分は当然教諭が学校に配置されるべきです。
 そんな当たり前の筋を曲げて、教諭の定数を引き剥がし事務職員に振り替えることは、適正・公正な教職員配置とは言えません。これがまかり通るなら逆に、事務職員定数が引き剥がされることも起こりえます。
 学労川崎は2月、当局に対して「教職員の職種別定数の遵守を求める申入書」を提出し、今後こうしたことは行わないよう申し入れました。ただ当局は「政策を効果的に進める観点から、市全体の教職員定数の範囲において適切に学校に配置」する、と回答。今後の同様の対応に含みを持たせています。
 

加配定数が生むいびつな職員配置

 ところで今年度の加配定数の配置先を見ると、比較的小規模な学校や複数配置基準を少し超えるのみの学校への配置が散見されます。その結果例えば中学校の中で、42学級の学校が2人配置である一方、加配定数の結果13学級の学校も2人配置、23学級・24学級の学校が3人配置という、客観的合理性を著しく欠く職員配置が生じています。
 こうしたいびつな職員配置も、「教員が子どもと向き合える時間を作る」ためなら許されるのでしょうか? どうしても必要なことなのでしょうか?
 私たちには、量的にはおおむね学校規模に比例する学校事務職員本来の業務に対する、無理解・軽視の表れだと感じずにはいられません。
 

 

市教委人権研修会を聞いて~

「違いを認め合い助け合う」を仕事の場にも

 
 3/14に学校事務職員も対象として開催された、市教委主催のオンライン人権研修会。特別支援教育がご専門の星山麻木先生の講演「違うことは強いこと~その子らしさを大切にする~」を拝聴しました。
 学習障害がある女の子・かなちゃんの一人称で書かれた絵本『かなわね』を通じて、みんなと同じように「普通」にできないのは悪いことではなく、脳の機能の発達が違っているだけ。そもそも一人ひとり違うのだから「普通」なんてどこにもない、違うからこそ助けあえる、とする内容で、この分野に対する知識をあまり持っていなかった私には大変ためになるお話でした。
 中でも印象に残ったのは、できないのは努力が足りないからではなく脳の作りが違うからで、それは身長のように生まれ持ったもので変えたくても変えられない、ということです。身長が低い人に、「棚の上を掃除できるようになれ、できないのは努力していないから」という人はいません。そういうときは、踏み台を使います。合理的な配慮の意味や必要性がよくわかりました。
 聞きながらふと引っかかったこともありました。こういった「お互いの違いを認めあい、助け合う」というのは学校に通っている間だけ行われることなのでしょうか? 仕事に就いたら、とたんに「みんなと同じにやりなさい」となってしまうのでしょうか? そんなことはないはずです。
 仕事は学校とは違って選択の幅があります。最低限求められることがあり、どうしても難しい場合は別の仕事を考えることも必要になってくるでしょう。ではその最低限は、例えば学校事務職員だったらどのくらいのレベルでしょうか。私は、財務・給与・文書・旅費・健康保険関係の手続きを、規則にのっとって滞りなく進められるくらいだと思っています。どなたも採用されたとき、まずはそこを目指したのではないでしょうか。
 ですが最近、どうもそれ以上のところを「みんなができて当たり前」として求められている気がしてなりません。学校の運営への参画、地域人材活用のコーディネート、事務支援員のマネジメント……「できて当たり前」とするにはずいぶんハードルが高いと感じてしまうのは私だけでしょうか?
 星山先生は、人間一人ひとりの違いの中に家庭環境も含めていらっしゃいました。小さなお子さんがいる方、介護の必要な家族がいる方、自分自身の体調がすぐれない方、様々な背景の事務職員がいるはずです。そういった違いは無視して、私たちは全員が、人によっては無理を重ねてでもその高いハードルを越えなければいけないのでしょうか
 今回のような研修会を企画した教育委員会が、一方では一人ひとりの違いを無視してとても最低限とは思えないような業務を「みんなが当たり前にやるべき」と言ってくる。大変な矛盾を感じます。講演の内容が素晴らしかっただけに、もやもやとした気分が残ってしまったのがとても残念です。(M)
 

 

行事祝金受領禁止もおおむね要求実現

 
 川崎市立学校では行事等に際して地域の団体から「祝金」を受け取る風習が広く残り、かねて学労川崎は要求書・交渉で市教委に「禁止」を求めてきました(本紙801号付録・805号等参照)。
 これを受け当局は昨年12月、校長会に「事情により続いているとしても、やめる方向で調整を」と通達。結果、受領をやめる学校が続出しています。親睦会費問題に続き、学労の要求がおおむね実現した形です。


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